家族の会話で、動物の命について話すことがが格段に多くなりました。
メンドリ4羽を飼っているからか、
ファームアニマルのシェルターで、ボランティアをしていて、子供達もついて来ることがあるからなのか、分かりませんが、こういう会話が家庭で増えてきたのはここ1年です。
そもそも、メンドリを飼うことも、ファームアニマルシェルターでボランティアをしようと思ったのも、
モンテッソーリ教育の平和教育やコスミック教育を学び、私自身が微力でも地球の平和に貢献できる人に近づきたいという気持ちが強くなってきて始めたことです。
子どもの教育だけでない。モンテッソーリ教育は大人も成長させてくれますね^^
ハンバーグを食べながら、この豚はどんな一生を送ったんだろうね。幸せに生きていたのかな?それとも無理矢理太らされて、狭い場所で生きていたのかな?
そんな会話をします。
スーパーに買い物に行くと、安い牛肉ではなく、「grass fed beef」牧草飼育で育った牛肉に目がいくようになりました。穀物を食べて育った牛よりも、牧草飼育で育った牛は、栄養価も違います。うちの家族には味の違いは分からないようですが(苦笑)、料理をする側にとっては、色や感触が全然違います。
「我が家のニワトリ、3年位経って、卵を生まなくなったらどうする?」
深刻な悩みです。私達、まだ決めかねています。エサ代だけかかっちゃうけど、そのままペットとして死ぬまで飼おうか?
それとも。。。。殺して食べる?
「そんな残酷なこと、絶対出来ない」と言っていた息子達ですが、それを残酷というなら、今、目の前でお皿にあるチキンだって、どこかのファームで生きていたニワトリなのです。
どこかのファームで無理矢理太らされて、狭い鶏舎で十分な運動もせずに育ったチキンを買い続けたら、そういう不幸なニワトリが減ることはない。
大地の恵みをたくさん受けて幸せに育ったオーガニックの鶏肉を買う、もしくは、自分で育てたニワトリを食べる。自分で育てたニワトリなら、何を食べて育ったか、幸せに暮らしていたのかも間違いありませんから、決して「残酷」「可哀想」だけではないのです。
アメリカで暮らしていると、周りにベジタリアンやビーガンも結構います。
「お肉を食べないなんて僕には絶対ムリ!だって美味しいもん!」と言う息子達。一方で「どうしてあの人たちがベジタリアンやビーガンになったのか、気持ちがわかるよ。だって動物を殺して食べるなんて可哀想だもんね。。」と言います。
モンテッソーリ小学校でも、ちゃんと教わっています。
人間は何万年も前から狩猟をして生活をしてきたこと。肉や魚を食べるのは人間にとって不自然なことではない。
フードチェーン、食物連鎖。
どんな生き物も何かを食べて、生きている。命を頂いて、その犠牲の上に生きている。
人間も動物や植物を食べる。
人間はこの地球の中の一員なのだから、今生きている人間だけのことを考えるのではなく、将来にわたり、すべての動植物とこれからもずっと、この地球で共存できるように、人間は正しい選択をしていかなくてはいけません。
先日、ガイ(6年生)が食事をしながら静かに言いました。
「肉を食べるときは、本当に感謝しながら食べないといけないね。他にも食べるものがあるんだから、肉は食べなくても僕が死ぬ訳じゃないのに、食べさせてもらってるんだから‥。」
表情を見て、心の底から出た言葉なんだなということが分かりました。
本を読んだり、表面的な会話からでは学びきれないこと。実際にニワトリを飼い、ファームで豚や七面鳥やアヒルのお世話をし、それぞれの動物にも、リーダー格だったり、恐がりだったり、フレンドリーだったり、好奇心旺盛だったりという性格があることを知ったからこそ、かれら動物の命を頂くということに対し、心からの感謝の気持ち、申し訳ないという気持ちが生まれてきます。
我が家の食卓も、お肉はグラスフェッドビーフや、オーガニックのチキンなど、良いものを少なめに、そしてお野菜はたっぷりに変わってきました。
アメリカでは大きな分厚いステーキを好んで食べる人もいるけれど、私達はそれは食べたいとは思わない。
ベジタリアンやビーガンのように一切食べないのも難しい。
食べるなら、自分の栄養に必要な分だけ、少量だけを、心から感謝して頂こうね。
今日も読んで下さってありがとうございます。また遊びに来て下さいね。
- 2017.01.11 Wednesday
- 自然との触れ合い
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- by Asako